週末、乃木神社を訪れた。千代田線赤坂駅の出口から、出口が面する赤坂通りを10分ほど歩いたところにあり、アクセスは良い。
境内は、非常に美しい。神社の伝統的な美しさと、現代的なデザイン性を併せ備えたような印象である。
摂社に、御祭神を「玉木文之進」とする正松神社があった。
玉木文之進は、吉田松陰の叔父であり師として知られている。長州藩士である。
松下村塾は、吉田松陰が門下生を教えていた場所として有名であるが、開設したのは師である文之進である。
司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」のなかに、文之進の描写が登場する。彼のエピソードの中で、僕がもっとも好きなものが以下のもの。彼が、藩の官僚に任じられた頃のことである。
叱らないといえば、文之進はいっさい下僚を叱ったり攻撃したりしたことがない。どの藩でもそうであったが、民政機関には賄賂や供応がつきもので、とくに下部の腐敗がはなはだしかった。当然文之進の性格からすれば、それを激しく悪みはしたが、しかしそれらの患部を剔りとるという手荒なことはせず、みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるようにしむけた。松陰の文章を借りれば「自然と貪の恥づべきを悟る如くに教訓するのみ。
司馬遼太郎「世に棲む日々」
「百術不如一清」というのが、ながい藩役人生活における文之進の座右の銘であり、そのことばを印に 刻 ってつねに使った。行政上のテクニックなどは行政者の一清に如かない、と信じたこの人物は、維新後は中央政府には仕えなかった。
司馬遼太郎「世に棲む日々」
彼は「私」廃し「公」であること「武士」に必要との考えを持ち、松陰ら門下生にも厳しく教えていたようだ。そのような文之進にとってみれば、賄賂は「私」のために「公」を害することであり、我慢ならなかっただろう。
しかし、文之進はこの悪癖を排除するために、人を叱るのではなく、「みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるようにみずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるように」したという。なかなかできることではない。
彼の生き方を一言で示すのが「百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)」。
一方、論語には、孔子と、魯国の重臣(季康子)との会話として、次の言葉がある。
季康子 政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政とは正なり。子帥いるに正を以てすれば、孰か敢えて正しからざらん、と。
季康子 盗を患う。孔子に問う。孔子対えて曰く、苟くも子の欲せざれば、之を賞すと雖も、窃まざらん、と。
季康子 政を孔子に問いて曰く、如し無道を殺して、以て有道を就さば、何如、と。孔子対えて曰く、子政を為すに、焉んぞ殺を用いん。子善を欲すれば、民善なり。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す、と。
僕は、これらの言葉を、次のような意味だと理解している。
「人々は、上に立つ者の影響を受ける。したがって、上の者は正しく生きなければならない。悪きを罰するのではなく、自らが善い生き方を見せるのだ。」
論語の教えによれば、実践しない学問は無価値である。しかし、なかなか実践というのは難しい。玉木文之進は、この論語の教えを生涯をかけて実践したのだろう。
彼が神様になることを望んでいたとは思わないが、しかし、彼の生き方は大切なことを教えてくれる。
百術不如一清。
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