百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)

歴史・文化

有名な松下村塾を開いた、玉木文之進という人がいます。吉田松陰の叔父さんであり、松陰の青年期の師匠です。

司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」のなかに、文之進の描写が登場します。彼が、藩の官僚に任じられた頃のことです。

叱らないといえば、文之進はいっさい下僚 を叱ったり攻撃したりしたことがない。どの藩でもそうであったが、民政機関には賄賂や供応がつきもので、とくに下部の腐敗がはなはだしかった。当然文之進の性格からすれば、それを激しく悪みはしたが、しかしそれらの患部を剔りとるという手荒なことはせず、みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるようにしむけた。松陰の文章を借りれば「自然と貪の恥づべきを悟る如くに教訓するのみ。」

 「百術不如一清」というのが、ながい藩役人生活における文之進の座右の銘であり、そのことばを印に 刻 ってつねに使った。行政上のテクニックなどは行政者の一清に 如かない、と信じたこの人物は、維新後は中央政府には仕えなかった。 

文之進は、武士というもののあり方を自ら実践し、また生徒に教え込んでいたそうです。その武士のあり方というのは、徹底的に「私」を廃し「公」であること。

そのような文之進にとってみれば、賄賂は「私」のために「公」を害することであり、我慢ならなかったはずです。しかし、文之進はこの悪癖を排除するために、人を叱るのではなく、「みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるようにみずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるように」したというのが、偉いなぁと思います。自分の身を振り返って思いますが、なかなかできることではありません。

彼の生き方を一言で示すのが「百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)」。

文之進は、論語を実践していたのだと思います。

論語には、孔子が魯国の重臣である季康子との会話として、次の言葉があります。

季康子 政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政とは正なり。子帥いるに正を以てすれば、孰か敢えて正しからざらん、と。 

季康子 盗を患う。孔子に問う。孔子対えて曰く、苟くも子の欲せざれば、之を賞すと雖も、窃まざらん、と。 

季康子 政を孔子に問いて曰く、如し無道を殺して、以て有道を就さば、何如、と。孔子対えて曰く、子政を為すに、焉んぞ殺を用いん。子善を欲すれば、民善なり。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す、と。

僕は、これらの言葉を、次のような意味だと理解しています。

「人々は、上に立つ者の影響を受ける。したがって、上の者は正しく生きなければならない。悪きを罰するのではなく、自らが善い生き方を見せるのだ。」

論語の教えによれば、実践しない学問は無価値です。しかし、なかなか実践というのは難しいというのが僕の実感です。

玉木文之進の生き方に習いたい。

 「百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)」。

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

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