西郷南洲遺訓の第17条を考えてみる。
“正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。”
これは、黒船来航以来、幕府が複数の国といくつもの不平等条約を締結したことを批判した言葉であると考えられているようだ。
西郷さんにとってみれば、幕府は「彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従」したように見えたのだろう。西郷さんのいうように、「正道を踏み国を以て斃るるの精神」を持って、当時の外交に臨んでいれば、結果はどうだったろうか。もしかしたら、日本という国がより尊敬され、条約は平等なものになっていたかもしれない。しかし、戦争になっていた可能性も否定できないだろう。
西郷さんは、国が倒れてても良い、という覚悟を持って初めて、より良い結果を得ることができると考えていた。しかし、もちろん戦争になり、日本が滅びる可能性もある。しかし、西郷さんは、それは仕方ない、強大な他国に畏縮するよりはずっと良い、軽侮されるよりはるかに良い、と考えていたのだろう。つまり、結論よりも、「在り方」「生き方」こそが重要なのだ、ということだと思う。
この第17条は、個人と個人の交渉や話し合いにもよく通じる。「正道」を踏んで、もしうまくいかなければ自分が倒れてもやむを得ないという精神を持たなければ、真に良い交際をすることはできない、という教えである。自分の身が可愛いという考えを持ち、嫌われないように、自分の考えを控えるのならば、本当の交渉はできないし、本当の交際もできない。嫌われるとしても、それが「正道」を踏んだ結果であるならば、それは喜んで受けるべきだ。
「正道」の中身は難しい。場面によっても文脈によっても「正道」の中身は異なるだろう。「正道」だと思ったことがそうではなかった、ということもあるだろう。しかしそれでも、「正道」を踏むのだ、という考えを自分の内側に秘めながら、自分にとっての「正道」をその都度考え、実践することにより、真の「正道」に近づき、実践することができると思う。
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