確固たる「仮説」をもつことが大切なのだと思う

今の世の中、情報に溢れています。出版物だけに限定しても、世の中にあるすべての本を読むことは、個人の一生をかけても難しいでしょう。

新しい本や情報が毎日、凄まじいスピードで出ています。ちなみに、総務省統計局の公表するデータによれば、書籍の新刊点数は年々減ってきているものの、年間で70,000点を超えます。換算すると、毎日およそ200点の新刊が出版されている計算です。

統計局ホームページ/日本の統計 2020−第26章 文化
総務省統計局、統計研究研修所の共同運営によるサイトです。国勢の基本に関する統計の企画・作成・提供、国及び地方公共団体の統計職員に専門的な研修を行っています。

すでに世の中にある書籍を読むどころか、新しい情報をキャッチアップすることすら、テーマを選ばなければ不可能です。好奇心の旺盛は僕などにとっては、目移りして仕方ありません。

生き方や思想についても、様々な教えがあります。唯一正しい生き方というのはなく、それぞれの人にあった思想や生き方を、各人が考え、形成していく必要があるのでしょう。自己啓発本は、書店に行けば毎日更新されているかのようです。

自由。本当にありがたいことです。「きけわだつみのこえ」などを読んでいると、当時の若者が、押しつけられた思想と生き方にどれだけ苦しみ、「自由」を渇望していたことか、読んでいて苦しい気持ちになります。彼らが今の社会を見たら、どう思うだろうか。こんな時代に生きてみたかったと思うでしょう。それほどに、現代は、個人から見れば、かつてない「自由」を享受する世の中だと思います。

一方、大きな自由を享受する時代に生きてみると、生き方を含め、自分で選ぶことができることが多くなります。逆に、自分で選ばなければいけないことも多くなります。情報は無数にありますので、どの情報が自分にとって有益なのか考えなければならず、優先順位をつける必要があります。現代では、これが新たな悩みになっているように思います。

江戸時代(といっても200年も前ではありません)であれば、学問といえば、まずは四書五経だったと思います。ある意味、やることは決まっており、その段階での悩みは少なかったのかもしれません。

現代ではそうは行きません。よりよく生きるために、多くの書籍などに触れていると、いろいろな人がいろいろなことを言っていて、逆にだんだんよく分からなくなってきます。

戦争時代に比べると本当に贅沢なことです。生き方を選べるのに、何が問題なのか、と先人たちに言われてしまうかもしれません。しかし、現代しか生きたことのない我々にとっては、やはり「どう生きるか」「いかなる人格を形成したいか」、それをどうやって選んでいくかということは、大切な課題ように思われます。

では、どうするか。

それこそ「こうだ」というやり方はないでしょう。ただ、そんな中、僕が大切だと考えることは、「仮説」の構築と「検証」です。思想や人格の形成、生き方の選択ということに限らないのかもしれませんが、「これで完成」という状態に至ることは死ぬまで無く、常に「更新中」という状態にあると思います。そして、それが尊いのだと思います。

もっとも、多くの情報を入れていくだけでは、混乱してしまいます。「あれもいいし、これもいい」というように。そこで、「更新」という言葉が、的を射ていて良いと思っています。

「更新」は「新規作成」とは違います。「新規作成」は、まっさらな状態に何かを作ることですが、「更新」は、現在版がまず存在し、それを改良することです。この現在版を、「仮説」と言い換えることもできます。すなわち、まず「仮説」があって、その妥当性を常に「検証」し、より良いアイデアがあれば、改める、すなわち「更新」するということです。これにより、成長することができるのだと思います。ビジネス風にいえば「カイゼン」です。

ここで、私が特に大事だと思うことは、「仮説」を大切にすることです。「仮説」というのは、現在の自分の人格、または、その形成に関わる思想です。常に更新される可能性のあるものであり、常に未完成の状態ですが、現在の自分を形成するものです。

この「仮説」がはっきりしているからこそ、新しい情報に接したときに、それが仮説を裏付ける情報なのか、または、仮説を修正しなければならない情報なのかを検証することが可能になります。もし、新たな情報により、さらに良い仮説(生き方、思想)を形成することができそうなら、仮説を「更新」するのです。そうでない情報は捨てます。これにより、情報の取捨選択が可能になり、混乱することが少なくて済みそうです。

自分の仮説がしっかりあれば、新しい情報を、仮説と比較することにより、情報を分析することができます。考える「ものさし」になる、ともいえるかもしれません。

この点について、西郷さんの言葉から、僕が「これだ!」と思う良い学びがあったので、西郷南洲遺訓より、2つ紹介します。これも更新ですね。

賢人百官を総べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ縦令人材を登用し、言路を開き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁にして成功有るべからず。

【日本語訳】賢人がすべての役人を統轄して、政権を(天皇に) 集中して、国の本体を揺るぎなく確定しないならば、たとえ人材を登用して自由に進言できるようにして、集団で討議を行ったところで、どの進言を取捨するか、政府の方針はふらつき確定せず、行うことは雑でまとまりがなくなってしまう。 

広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我が国の本体を居ゑ風教を張り、然して後徐かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、国体は衰頽し、風教は萎靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。

【日本語訳】欧米各国の制度を採用して日本を開明の域に進めようとするなら、それよりも先にしなければならないことがある。まず日本がその基本(国柄)を確定して、徳を持ってそれを支えるようにすることである。そのうえで、日本に見合った長所を各国の制度のうちから選びとって採用する。それも急がないことが重要である。何でもかでも模倣すると、日本の国体は衰え、徳も廃れて、救いようがなくなってしまい、結局は欧米の支配を受けるようになってしまうのである。

(日本語訳は、「新版 南洲翁遺訓 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)」より引用させていただきました )

前者は政治のリーダーのあり方についての言葉であり、後者は外交政策についての言葉です。したがって、議論の対象となっている状況は異なります。

しかし、その本質は同じだと思います。前者では、人の意見を聞く前に「国体定制」が必要とされ、後者では外国の文明を取り入れる前に「我が国の本体を居ゑ」ることが必要とされています。いずれにおいても、新しい情報(人の意見や外国の文化)をインプットする場合において、情報の取捨選択をし、有効に利用するためには、まず、先に自分の考え(自分の生き方や自国の文化)を確定していなければならない、ということです。

言い換えれば、情報のインプットの前に、確固たる「仮説」を持っておくべきであり、新しい情報(人の意見や外国の文化)に接しては「仮説」(自分の生き方や自国の文化)を検証し、必要な部分を「更新」するべし、ということだと思います。仮説がはっきりしないのに、「新規作成」を繰り返しているだけでは、雑でまとまりのないものができてしまったり、ただの模倣になってしまうからです。

情報が溢れる現代においては、西郷さんの教えは、より一層大切になっているように自分では感じています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました