国宝仏像を日本一保有する世界遺産「興福寺」の魅力

歴史・文化

「興福寺」といえば、奈良時代の初年710年に創建されたものですので、今ではなんと1300年を超える歴史を持ちます。加えて、日本一多くの国宝仏像(国宝彫刻136件中18件)を有するという、歴史的にも文化的にも重要な寺院です。「古都奈良の文化財」の一部として、世界遺産にも登録されていますね。

興福寺中金堂(再建)

興福寺は、現在では、鹿で有名な奈良公園(奈良県奈良市)の中にあります。

仏教の宗派としては、薬師寺と並び、「法相宗」の総本山です。法相宗は、いわゆる奈良仏教の1つですね。奈良仏教は、飛鳥時代から奈良時代に隆盛を極めた仏教であり、南都六宗と言われます。飛鳥時代は、主に飛鳥に都のあった592年〜710年、奈良時代は、平城京(今の奈良市)に都のあった710年〜794年をいうことが多いようですね。この「法相宗」、非常に哲学的で、学べば面白そうですが、なかなか難しそうなのでまた今度に・・。

この興福寺には、日本一多くの国宝仏像が保存されています。中でも、阿修羅像は有名です。

阿修羅像

日本史上最高の彫刻家とも言われる「運慶」は、阿修羅像などの天平の傑作を見て、写実的な彫刻を学んだとも言われています。

興福寺はこれらの魅力に溢れる寺院ですが、最大の魅力は、7回火事で焼失し、8回目の建設(再建)がされているという事実だと思います。文字通り、七転び八起き。

興福寺は、もとは、藤原氏の権勢の基盤を作ったその最初の人とも言われる藤原不比等(ふひと)が創建したものです。藤原氏の氏寺であったお寺を、平城京の始まりとともに平城京に移し、興福寺と名付けたそうです。したがいまして元々は藤原氏のためのお寺です。

最盛期には1万人もの僧侶を抱えていたといいますから、余程の巨大寺院であり、余程の影響力であったろうと思います。しかし、1300年も続く間に、藤原氏も廃れます。それでも、その後も様々な形で様々な人に愛されてきたようです。そうでなければ現在まで残っていないはずです。そして、確かな真実として、焼失するたびに膨大なお金をかけて、8回も再建されてきました。

1300年という途方もない時間の流れの中で、多くのご先祖たちが、興福寺に祈りを捧げては幸福を願ったでしょう。興福寺は、数え切れないほどの悩みを、たくさんのご先祖たちから聞いてきたと思います。その歴史に思いを馳せると、自分が歴史の一部にいることがよく感じられます。

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