転職によって、より他者に貢献できるならば、転職するのだ

初めて転職します。

今の会社にはお世話になりましたし、義理もあります。だから、辞めることを伝えることは心苦しいです。

そんなとき、これまでは読み流していた「論語」の一節が目に止まりました。

春秋戦国時代に生きた、管仲(かんちゅう)と召忽(しょうこつ)という2人の話です。2人はどちらも公子糾(こうしきゅう)という有力者の臣下でした。公子糾が権力闘争で敗れて、桓公に殺されたとき、召忽はこれに殉じて死に、他方、管仲は桓公に仕えて活躍しました。孔子の弟子である子路は、管仲も忠義に死ぬべきであったのに、生き残って出世したことを批判して、「管仲は立派な人物ではないでしょう」と孔子に言いました。

管仲

これに対し、孔子は、管仲のその後の大業を見るべきであり、小さな誠を尽くす(殉死する)という小さな生き方より、世の中に大きく貢献する管仲の生き方の方が優れている、と言いました。

義理は大切な美徳ですが、生き残って社会に貢献することは、より尊敬されるべき生き方だというのです。日本における戦国時代の武士道であれば、忠義による殉死が美談となりそうですが、それと比べて、孔子の考え方は「合理的」であるように思われます。合理的な生き方が美しい生き方とは限りませんが、孔子の考え方は現代にも通ずるように感じられます。

現代に置き換えるとどうだろう。現在の職場に殉じることも1つの生き方ですが、転職によって、より社会に貢献することができるのであれば、転職する方が優れている、ということもできそうです。会社が「家」であり同僚は「家族」という感覚が薄くなってきている今、こういう判断はより一般的になっているように感じられます。

ただ、この孔子の言葉は、もう1つの意味を含んでいるのだと思います。つまり、管仲は、新しい場で多くの人の幸福に貢献したからこそ、孔子は彼の生き方を尊いものとしました。すなわち、より他者に貢献してこそ優れた生き方ということですから、新天地において、元いた場所に殉じるよりも、一層他者に貢献することができれなければ、孔子が称賛するような生き方にもなりません。

孔子の言いたかったことは、単に生き残ることを推奨するものではなく、忠義の美徳を上回るだけの貢献を社会に対して提供できるのであれば生き残るべし、ということだと思います。

今の職場における社会貢献を上回る貢献を新たな職場でできるよう取り組んでいきます。

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